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◇◇ 編集後記 ◇◇
今回のイタリアツアーどこも魅力が一杯であるが、どうしても もう一度行きたいのがバチカン! 世界で一番小さい国だがお宝密度が濃い! 謎も多い。美術・歴史ファンの私としては必須の観光地なのだ。 バチカン観光で2日は欲しいところ。
ところで、12月クリスマス 〜 新年を迎えるイタリアでは
プレゼピオ という飾付けをよく見かける。 日本ではアメリカなどのようにクリスマスツリーを飾りますが イタリアでは プレゼピオ というものを飾ります。 イタリア語でクリスマスを ナターレといい プレセピオ はイエス・キリストが馬小屋で誕生した瞬間を人形で表したディスプレイで、イタリアではプレゼピオなくしてナターレは語れません。
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Vaticano
イタリアツアーもいよいよローマに入った。 まず最初に みなさん ご存知 バチカン市国 面積は 0.44平方キロメートルという世界一小さな国。 東京ディズニーランドが 0.48平方キロメートルだから、それよりも まだちょっと小さい! イタリア・ローマ市にあるこの小さな国は、世界で10億人以上と言われるキリスト教 (カトリック) 信者たちの信仰の中心地。 ローマ市内を歩いて コンチリア・ツィオーネ通りの正面が バチカン市国 イタリアと別の国とは言っても ホイ ホイ 行ける。 国境という堅苦しい物はない。
サン・ピエトロ広場を囲む円周型の柱廊。 上に並ぶ諸聖人像像の高さは3.2mで140体もある。
聖堂前には聖ペテロ像と聖パウロ像が立つ。 こちら右側のパウロ像。
聖堂正面上部にはキリスト、洗礼者ヨハネ、ペテロを除く11使徒の像が立つ。(下から見てもよく分かるように とても大きい)
ALEXANDER ・ ・ ・ そう、この柱廊は教皇アレクサンデル7世がベルニーニに発注したもの。
聖堂側から振り返ってみたサン・ピエトロ広場。 広場の中央には古代エジプトの オベリスク がそびえている。 その頂点に立てられた十字架には、キリストが磔になった十字架の破片の聖遺物が収められています。 高さ 25.37m ローマ皇帝カリギュラによりエジプトからローマに運ばれ、聖ペテロなど初期キリスト教徒たちが処刑された カリギュラ広場 に建てられましたが1586年、ローマ法王シクストゥス5世がサンピエトロ寺院を建築する際、現在の場所に移築され、現在に至っています。
サン・ピエトロ大聖堂内部 建物正面から祭壇にいたる身廊部分。 この とんでもない空間 に息をのむ! 中央のクーポラは高さ 132.5m その下の天蓋(中央のアーチ状の物)が 29m! 奈良の大仏様が 14.7m なので、あちらの天蓋が倍くらいあるのだ。
身廊部分の天井、聖堂の奥行きは 216m で大聖堂を俯瞰すると ラテン十字形 の長袖にあたる。明かり窓からは美しい光が降り注ぎ、その光を受けて、金字に黒くイエスの言葉が浮かび上がる。
「あなたは ペテロ (岩)。 この岩の上に私の教会を建てる。 私はあなたに天国の鍵を授けよう」
ペテロとはイエスが与えた名で、本名はシモン。 もとはがりラヤの漁師で、イエスの最初の弟子となった。
6万人を収容できる聖堂内には、11 の礼拝堂と 45 の祭壇があり、どれも巨大で荘厳。 写真はキリストと聖人達  この下の入口から歴代の教皇達の宝物殿へと続く。 (バチカン美術館とは反対側) ウワァー 見きれない / こちらは聖ペトロのブロンズ像 敬虔な信者たちからの接吻のため、足の部分が擦り減っている。
ピエタ像
ミケランジェロ ピエタ像 ミケランジェロ 21歳の時の作品。 2年の月日をかけて大理石の一枚岩から壮麗な彫刻を彫り上げ、ミケランジェロの名声は不動のものとなった。 ピエタとは 「慈悲」 といった意味で、十字架に掛けられて亡くなった イエス・キリスト を降ろし、その亡骸を抱きかかえて深い嘆きに沈む聖母マリアの心情を表すもの。 衣装のひだの見事さ、聖母の悲しみに沈むつつましい表情、若々しく美しい顔、ぐったりと力なく横たわるキリスト、 そのどれもが息を呑むほどの迫力で迫ってくる。 後年、マリアの指を折ったりハンマーで叩き割るといった 罰当たりな 破壊行為がおこったため、現在では防弾ガラスによって保護されている。
ラファエロ キリストの変容 「キリストの変容」は、聖書の物語で ガラリヤのタポール山に弟子たちと登ったキリストが丘の上で変容して、輝きながら上空に浮かんだ時に 「これはわが子なり」 と神の声が聞えた場面です。
ベルニーニ 教皇アレクサンデル7世の墓  ベルニーニのバロック芸術の頂点とも言える作品。 大理石で作ったとは思えません、この布部分はすごい。 そこにポコッとはまってる骸骨? ここも骸骨の下から礼拝堂に続く。 
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バルダッキーノ(天蓋) サン・ピエトロ大聖堂の主祭壇は、教皇だけがミサができるので、教皇の祭壇とも呼ばれている。 ここには聖ペテロの墓が祭壇の真下にある、もっとも神聖な場所。 ここを囲むように歴代教皇が眠る地下墓所がある。 一般の旅行者では行けません。 主祭壇は4本のねじれた柱で囲まれている ベルニーニ の作品。
天蓋の柱の向こうに見える 聖ペテロの司教座 120t以上のブロンズを使った巨大な聖遺物器で、ベルニーニ制作。 見上げると開口部からは光が射し込み、4人の博士に支えられた司教座 (椅子) が! その4人とは神学の基礎を築いた 『聖アンブロシウス』 『聖アウグスティヌス』 『聖アタナシウス』 『聖クリンストムス』 日本的に言うと奥の院の宝! 実はこれも巨大で博士の身長が普通の方の3倍くらい! あの椅子に座るとしたらとても巨人である。
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聖ペテロの墓
聖堂内の壁にはいたるところに巨大な彫像があり、またその下の扉からたくさんの礼拝堂へ通じる。 とてもツアーで見きれる量ではない! 天井に感心する人が多いが 時間がなくなる。
聖堂内に11もある礼拝堂の一つ 聖ジョセフィンの礼拝堂。 今日も敬虔な信者が祈りを捧げている。 日本なら公開も撮影もさせてくれないであろう。
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教皇居館 毎日曜日の昼、教皇は自室の窓から広場に集まった人々に祝福を授ける。(最上階右二番目の部屋)
衛兵 1505年にユリウス2世がスイス人の私的衛兵隊を設置、27年のローマ略奪で最後まで護衛したのもスイス兵だったため、今もスイス人が従事している。 制服はミケランジェロ作。
大聖堂右側の建物群は主に バチカン美術館  この中にあの システィーナ礼拝堂 がある。 この庭園と美しい建物で造られた箱庭国家の人口はわずか 800人 ほどで、国外からの通勤者を含めても、日中の人口は 3,000人 に満たない。 全国土の三分の一がイタリア式庭園。 スーパーは一軒しかないが、 消費税はとらず、国民に納税の義務はない。
システィーナ礼拝堂 最後の審判
今回のツアーではバチカン美術館まで見る時間はなかったので写真はパンフレットから。 バチカン美術館はバチカン宮殿内にある24の美術館の総称であり、見学が許される部屋数は1,400、それらをつなぐ通路は全長 7km。 迷路のような建物は、数々の礼拝堂とギャラリーを併せ持つ世界有数の 美の宝庫。 なかでも有名なののはミケランジェロのフレスコ画 最後の審判 がある システィーナ礼拝堂。
同じく天地創造からノアの大洪水まで、旧約聖書・創世記の物語を描いた システィーナ礼拝堂の天井画 あの アダム創造も中央に! 礼拝堂は、縦40.9m、幅13.4m、そして高さは20.7mという壮大な箱型の建築です。 この高さは7階建てのビルに匹敵するもので、その高さにある天井のほぼ全面に天井画が描かれている。
上のキリストと聖人の下の扉から聖ペテロの聖具室と司祭館に行くことができる。 壁には代々の教皇の年誌がきざまれていた。 ちなみに現在は 第265代 ベネディクトゥス16世 在位2005〜 ドイツ人の教皇です。 教皇はみな独身?
サンピエトロ広場オベリスクの前に準備中のプレゼビオ
/ 完成したプレゼビオ(部分)
そういえば先日訪問したのヴェローナでは アリーナから、メルカティーニが立つブラ広場へと流れるベツレヘムの星を形どった巨大な輝くオブジェが工事中であった。
/ 完成したオブジェ(ニュースより)
映画 天使と悪魔 ではこの地下墓所に反物質の爆弾が仕掛けられていた!
ハンカチほどの土地
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紀元1世紀、現在の大聖堂の南側には古代ローマ帝国のカリグラ帝の競技場があった。 紀元64年、十二使徒の筆頭ペテロが皇帝ネロの迫害にあって、逆さ十字架にかけられました。 その殉教の地こそ、ここバチカンの競技場だったのです。 キリスト教を公認したコンスタンティヌス帝は、324年、ペテロの埋葬地に聖堂を建設しました。  しかし、ルネサンス時代には崩壊の危機が迫り、歴代教皇の命と、著名な芸術家により、16〜17世紀に再建されたのです。
あと一つ、大聖堂正面を見ていて気になることがありました。 上部に右と左に バロック風の時計がついているのですが、それぞれ時間が違うのです。 左側の時計は現時間を表示していますが、右側の時計は、おかしいのです。 そもそも何で二ついるのでしょう? これは宗教的な解釈で 悪魔をあざむくためのものとか?
フゥーーン!
妻曰く 壊れてるんじゃない!
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