アブデュルメジト I 世の皇太后ベズミ・アレムが私財の殆どを費やして1855年に造らせたバロック様式のドルマバフチェ・モスク。 このモスクのミナレット(尖塔)は、世界で最も細いといわれている。 後ろの高いビルは リッツ・カールトン・ホテル / これは ガタラ塔 6世紀初めに灯台として利用されていたものを、14世紀に周辺に移住していたジェノバ人が、ビザンツ帝国への監視塔に改造 高さ67m。
ゼウスが妻ヘラを欺く為、不倫相手のイオを雌牛の姿に変えるが
ヘラはそれを見破り、怒ったヘラは恐ろしい虻(アブ)を放ってイオをいじめ抜いた
そのためイオは世界中を逃げ回る事になり牛の姿のまま
このボスポラス海峡を泳いで渡った
ボスポラスはギリシャ語で 「雌牛が渡る」 の意味
残念 アクビルが 9月で廃止になってしまいました。
お土産に欲しかったんですけどね。
アクビルとは、直訳すると 「頭の良い切符」 という意味で、その名の通り便利なプリペイド切符です。 プラスチック製の鍵型にボタン電池のようなものがついているもので、切符代わりに使用していくもので、バス、トラム、トゥネル、メトロ、フェリー等の市内公共交通で利用できました。 これからは 日本の
スイカ のような ICカード イスタンブール・カードとなります。
アクビル
イスタンブール・カード
ヨーロッパとアジアの架け橋 このキャッチフレーズは、地球上でただひとつ イスタンブールだけに許された言葉。 東西文化の接点イスタンブールは、ボスポラス海峡によってヨーロッパ側と、アジア側に分かれている。 それを結ぶのが
@ ボスポラス大橋
A スルタン ・ メフメット大橋
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残念! 修復工事中の オルタキョイ ・ メジディェ ・ ジャミー バロック様式の建物は、1721年に建てられたジャミィがありましたが、19世紀半ばに 荒れ果てたジャミィを スルタン ・ アブドゥル ・ メジト1世の命により建て直して現在に至っている ちょっと他のジャミイーとは感じの違うヨーロッパ調。
オスマン帝国が誇 「皇帝の門」 / 海から
イスタンブールで ジャミィ (モスク) と言えば、アヤソフィアか、ブルーモスクが有名だが、実はこの スレイマニエ・ジャミイはオスマン帝国が最も繁栄した時代の君主スレイマニエ大帝が造らせた寺院で、規模的には一番大きい。 敷地内には、神学校、寺子屋、隊商宿、また救貧院 (貧しい人に食事を地峡する施設) 等があり これは街だ。 丘の上にあるので どこからでもよく見える。
ガラタ橋 上が道路、下はレストラン街が この喧騒が イスタンブール だなぁー!
イェニ ・ ジャミイ 界隈 / エジプシャン ・ バザール の入り口もあることから 観光客で ごった返している。
どこでも見かける スィミット : ゴマ付リングパン売り 焼きたてはモチモチでおいしい!
モダンなトラム ヨーロッパを中心に、海外ではよく見かける カッコイイんだよネ! アクビルというプリペイド式のチケットが便利。
これは オアシス・オブ・ザ・シーズ このクラスが6隻もこれはオアシス・オフ
観光ポイントはクルーザーからの団体客で、超満タン状態、時間にゆとりの無い 我々はボスポラス海峡クルーズへ!
大型クルーザーが同時入港していたため さぁー大変 街は大混雑。
クルーザー1隻につき観光バスが10台くらい動員されるので、幹線道路はご覧のありさま。
乙女の塔
ボスポラス海峡入り口 小島にある城塞。 昔々、王様のもとを訪ねてきた占い師が 「お前の愛娘は18歳の誕生日に蛇に噛まれて命を落とすだろう」 と言った。 これを信じた
王は慌てふためき、愛娘をこの塔に閉じ込めて育てた。 娘が18歳の誕生日、王は果物を一杯にした籠を手に塔に出かけた。 ところが、その籠の中に毒蛇が隠れており、娘は予言通り死んでしまったという。。
黒海
イスタンブール
@
A
金角湾
ボスポラス海峡
ヨーロッパ側
アジア側
マルマラ海
数多くの観光船や連絡船が行き交うボスポラス海峡。 北へ向かうと ヤル とよばれる瀟洒な別荘が海峡沿いに建ち並ぶ。.
ベイレルベイ宮殿 ボスフォラス大橋のたもとにあるベイレルベイ宮殿はオスマン帝国時代に迎賓館として使われた壮麗な宮殿です。 1865年に第32代のスルタン、アブドゥル ・ アジズが建設した夏の宮殿で、外観は質素な古典様式ですが、内部はオスマン ・ バロック調になってます。
ドルマバフチェとはトルコ語で 「埋め立てられた庭」 を意味し、ボスポラス海峡に面する埋立地にあります。 1843年から1859年にかけて、オスマン帝国のスルタン、アブドゥル=メジド1世により建造されました。 バロック様式を採り入れたオスマン建築の宮殿で、豪華な装飾や巨大なシャンデリアがあり、まさに豪華絢爛。 共和国となった1923年以降は政府の施設となり、初期には大統領官邸として利用され、現在は迎賓館になっています。。
儀式の間
途中 パナマ船籍の貨物船が、こちらに向かってきた。 船波で 私達の小さな観光船は結構揺れる。 しかし、スクリューでかき混ぜた航跡は、とても青く きれいだった!
現在ボスポラス海峡に掛けられている橋は2つある。 ボスポラス大橋と、ファーティフ ・ スルタン ・ メフメット大橋 (第2ボスポラス橋) です。 共に全長1,510mで 橋の東側に料金所が設置されており、ヨーロッパ側からアジア側へ向かう車両に限り通行料が課される? また2012年開通予定で、日本の大成建設グループにより海底トンネルの建設が進められています。
ボスポラス大橋
左側 : イェニ ・ ジャミイ 右側 : スレイマニエ ・ ジャミイ 最もイスタンブール的なショットだが、この2寺院は観光客は少ない。 右手2段の橋が 旧市街と新市街を結ぶ ガラタ橋 〜 さらに右は 金角湾に至る
ボスポラス海峡より望む イスタンブール 中央の橋 : ガラタ橋の左が旧市街、右側が新市街 / 新市街中央 : ガラタ塔
◆◆ 雑 学 ◆◆
話は飛びますが、ちょっと 右上の地図を見てください。 トルコという国 ボスポラス海峡で分かれているのも おもしろいんですが、実はこの国 国境
(隣国) がすごく沢山ありますよね? 私の知識では世界一だと思うんです。
ヨーロッパ側 イスタンブールの西は ギリシャ、北が ブルガリア、黒海を挟んで ルーマニア、ウクライナ、ロシア、グルジア、東にいって アルメニア、イラン、イラク、シリア、キプロス。 なんと11ヶ国ですよ。 もっと些細なことまでいうと、アルメニアとイランの間に アゼルバイジャン の飛び地があります。 そんな要因か? トルコ正規兵力が世界8位の軍事大国。 そんな
私達が ボスポラス・クルーズの時 イスタンブール港に停泊中だった大型客船の一隻 MSC MAGNIFICA (マニフィカ)号 イタリア
総トン数 : 93,330トン 乗客定員 : 2,518名 全長 : 293.8m
まるで街が動いているよう。 時間とお金が許せばぜひ一度は乗ってみたいものだ。 しかし、これとて今や さほど大きくはない! 今主流は10万トン↑
の時代なんです。 ちょっと調べたら 日本から参加するツアーがありました。 成田 〜 飛行機でイタリアに行き
・ ベニス (ベネチュア) 〜 イタリアのバーリへ寄港 世界遺産アルベロベッロ観光
・ 〜 ギリシャのカタコロンに寄港 世界遺産オリンピア遺跡観光
・ 〜 トルコのイズミールに寄港 エフェソス遺跡観光
・ 〜 イスタンブールに寄港 イスタンブール観光
・ 〜 アドリア海の真珠 ドゥブロヴニクに寄港 世界遺産ドゥブロヴニク旧市街観光
・ 〜 ベニスに帰港 観光の後 空路で帰国
9泊11日 288,000 〜 328,000円 このくらいなら行けるかもね?世界遺産アルベロベッロ観光
カタコロンに寄港
イスタンブール港は、地中海クルーズの寄港地。 この日は なんと、RUBY PRINCES、CRYSTAL SEREHTY ・ ・ ・ この世界最大クラスの大型客船が6隻も入港していた。
高さ36mの天井から吊された重さ4.5トンもあるシャンデリアは、イギリスから購入したもので、750個のクリスタル・キャンドルがつけられたバカラ製の特注品で、世界一の大きさだという。
1926年後のトルコ共和国建国後は、アタテュルク初代大統領のイスタンブール滞在中の執務室兼住居として使用されました。 1938年11月5日にアタテュルクが息を引き取った部屋は当時のまま保存されており、時計の針は今も午前9時5分を指しています。